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趙長軍「中華武星」転送

「中華武星」趙長軍

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得意:地躺拳、刀術、棍術長拳長拳器械、「趙氏三絶(Zhang shi san jue/趙氏の3つの絶技)」

中国の武術界には「70年代は李連傑、80年代は趙長軍」なる言葉が存在するそうである。

李連傑(Li Lian Jie)は言わずと知れたリー・リンチェイ=現ジェット・リー

そして、趙長軍(Zhao Chang Jun/ちょうちょうぐん)は、1980年代に最も活躍した武術運動員の1人であると断言しても過言ではないはずだ。

趙長軍は1960年陜西省西安市生まれ。

武術を習い始めたのは6歳のときで、回族出身の査拳(cha quan/さけん)の名手:袁潤生(Yuan Run Sheng)老師や民間武術家の張俊徳(Zhang Jun De)老師から教えを受けた。

1971年にプロチームである陜西省武術隊に選ばれて入隊した趙長軍は、1972年から陜西省代表として全中国大会に出場するようになり、文字通り“一時代を築く”足跡(そくせき)を武術界に刻んでいくことになる。

1980年の全国武術錦標賽(quan guo wu shu jin biao sai/全国武術選手権大会)で初めて「全能冠軍宝座(quan neng guan jun bao zuo/「全能冠軍=総合チャンピオン」「宝座=帝王の座」の意味)に登りつめ、1985年に初めて設けられた「武英級(wu ying ji/ぶえいきゅう=武術選手として最も高いレベルのランク)」の称号を獲得。「中華武星(zhong hua wu xing=中華武術の星)」や「武壇王子(wu tan wang zi=武壇の王子)」とも称され、1974年からは初の「中国少年武術代表団」のメンバーとして日本・イギリス・イタリアなど13カ国を表演のために訪問。当時少年だった彼は「少年武術外交家(shao nian wu shu wai jiao jia)」とも称された。

1984年に湖北省武漢市で開催された「全中国武術比賽(quan zhong guo wu shu bi sai=全中国武術大会)」は欠場したものの、1987年の第六届中国全国運動会(di liu jie zhong guo quan guo yun dong hui=第6回中国全国運動会)を最後に27歳で引退するまで、10回の個人総合優勝と合計54個の金メダルを獲得。彼の演ずる地躺拳(di tang quan/ちしょうけん)・刀術(dao shu/とうじゅつ)および棍術(gun shu/こんじゅつ)」は、その独特の風格から人々に「趙氏三絶(Zhang shi san jue/趙氏の3つの絶技)」と讃えられた。

また趙長軍は、競技武術出身者としては珍しく全国人民代表大会委員を努め、現在もいまだ“陜西省体育界の顔”と呼ぶべき存在である。

全国人民代表大会(ぜんこくじんみんだいひょうたいかい)とは、中華人民共和国の議会(国会)で国家の最高機関。略称は全国人大、日本では全人代

引退後は、洪金寶(普通話(北京語)ではHong Jin Bao/広東語ではHung Gam Bou=サモ・ハンキンポー)の出資で「趙長軍武術学院」を設立。同学院は、生徒数1000人を数える武術学校となっている。

李連傑同様に映画へと出演したのはもちろんのこと、武術指導を努めた作品もあり、「中華武星」の称号どおりの活躍をしたと言っても良いだろう。

紹介する動画は、1987年の全中国大会での長拳(chang quan=ちょうけん)で、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララにある中国武術スクール「Wushu Central Martial Arts Academy 」のサイトに掲載されている、今となっては非常に貴重な映像。

“武術としてのダイナミックさ”を体現しているさまを感じてもらえれば、幸いなことこの上ない。

(長拳in1987年全中国大会の動画はここをクリック !)

<趙長軍について書かれているWEBページのほんの一部>

■「武壇王子趙長軍(回族)」 (簡体字中国語(GB2312)表示)

■「趙長軍:人生80分足矣」 (簡体字中国語(GB2312)表示)

■「新聞中心:武術“個人全能冠軍”趙長軍」 (簡体字中国語(GB2312)表示)

■「中華武林高手趙長軍(上)」 (簡体字中国語(GB2312)表示)

■「中華武林高手趙長軍(下)」 (簡体字中国語(GB2312)表示)

■「“功夫王子”-趙長軍簡体字中国語(GB2312)表示)

1990年~2001年の間に行われた國際武術聯会(guo ji wushu lian hui/International Wushu Federation=国際武術連盟)主催の国際競技大会で採用されていた「第一套国際武術競賽套路 - 刀術(di yi tao guo ji wu shu jing sai tao lu - dao shu/全日本選手権大会では国際第二規定套路制定以降は「刀術B」と呼ばれているが、世界的には各国で「旧套路」「old form」などと呼ばれている)」は、趙長軍の自選套路がモデルとなっている。

1989年後半に制定されたこの套路の普及のために制作されたビデオで、趙長軍はみずから模範演武を努めている。(動画へのリンクは ここをクリック !)

教材用ということで、試合での演武に比べるとスピードも動きもややおさえめなのがわかる。

この動画を掲載しているのは、またもアメリカの武術スクールWushu Central Martial Arts Academy 」。

同映像が発表されたオリジナルのビデオ教材では解説はすべて中国語で収録されているが、この動画では冒頭に英語のナレーションが入っている。もしかするとこのサイトを見るアメリカの生徒向けにのちほど英語ナレーションが追加されたのかもしれない。

■役職

中国武術協会会員

陜西省武術協会副主席

陜西省青年聯合会副主席

陜西省武術総隊総教練(ヘッドコーチ)

中国西安趙長軍武術学院院長

■主な出演映画

『武当』

神州第一刀』

『海灯伝奇』

ほか、数十の映画に出演、武術指導兼任作品も有

■各種表彰・称号など

「体育運動栄誉奨章」複数回

「全国労働模範」

「全国民族団結進歩先進個人」

「建国45周年体壇45英傑(1994年)」

1995年には中国武術協会から「中華武星」の称号を授与される。

「先進教育工作者(1996年)」にも選定される。

■略歴

1960年:陜西省西安市に生まれる。

1966年:民間武術家袁潤生老師に師事し、武術を学び始める。

1968年:民間武術家張俊徳老師に師事し、継続して武術を学ぶ。

1970年:陜西省武術隊入隊。白文祥・馬振邦老師より系統的な専業訓練を受け始める。

1972年:全国武術比賽初参加。十三大保・棍術優秀賞。

1980年:全国武術比賽にて長拳・地躺拳・棍術および個人総合で優勝。映画『神秘的大仏』にて武術指導。

1981年:全国武術比賽にて長拳・刀術・棍術にて優勝。

1982年:全国武術比賽にて長拳・刀術・棍術・地躺拳および個人総合で優勝。映画『武当』に主演。

1983年:全国武術比賽にて長拳・刀術・棍術にて優勝。第5回中国全国運動会武術套路競技にて刀術・棍術・地躺拳および個人総合で優勝。第6回全国人代代表に当選。国家体育運動委員会より「体育運動栄誉奨章」を授与される。

1984年:陜西省運動技術学院三系副主任および陜西省武術隊コーチを担当。映画『新方世玉』で武術指導をつとめ、映画『大刀王五』の撮影に参加。

1985年:全国武術比賽にて長拳・刀術・棍術・地躺拳および個人総合で優勝。国家体育委員会編集による『套路教学』ビデオ制作に参加、模範演武を担当。第1回国際武術邀請賽(国際武術招待試合)にて長拳・刀術・棍術および個人総合で優勝。

1986年:全国武術比賽にて長拳・刀術・地躺拳および個人総合で優勝。第1回目の「武英級運動員」の称号を獲得する。第2回国際武術邀請賽(国際武術招待試合)にて長拳・刀術・棍術および個人総合で優勝。

1987年:全国武術比賽にて長拳・刀術・地躺拳・酔剣・対練および個人総合で優勝。第1回アジア武術選手権大会にて長拳・刀術・棍術および個人総合で優勝。「陜西省労働模範」に選ばれる。

1988年:第7回全国人代代表に当選。連続テレビドラマ『海灯伝奇』にて主演と武術指導を担当。

1989年:アジア競技大会刀術競技套路教学ビデオの刀術模範演武を担当。陜西省運動技術学院三系主任を担当。「全国先進工作者」「全国民族団結進歩先進個人」に選ばれる。

1990年:マレーシア国家武術隊の招待に応じ監督となり、第11回アジア競技大会に同チームを率いて参加。団体で銀メダルを獲得。陜西省武術隊ヘッドコーチを努め、陜西省武術協会副主席に選ばれる。

1991年:中国西安趙長軍武術学院院長となる。映画『碧血宝刀』にて主演と武術指導を担当。

1992年:陜西省青年聯合会副主席に選ばれる。中国武術協会常務委員に選ばれる。映画『神州第一刀』にて主演と武術指導を担当。

1994年:中国西安趙長軍武術学院院長兼ヘッドコーチを務める。「建国45周年スポーツ界45人の英雄」のひとりに選ばれる。著名武術家・馬賢達(Ma Xian Da)老師の弟子となる。

1995年:中国武術協会から「中華十大武術の星」の称号を授与される。

1996年:趙長軍武術学院は国家体育運動委員会武術運動管理センターに「全国の先進的な武術の学院と大学」に選ばれる。陜西省教育委員会により「省クラスの先進的な部門」に選ばれ、「先進的な教師」に選ばれる。

1997年:陜西省体育委員会が再度、陜西省武術隊ヘッドコーチを趙長軍に任命。

1998年:趙長軍武術学院は陜西省人民政府から「陜西省渉外定点刅学単位」を授与される。

1999年:趙長軍武術学院は外国人留学生募集の資格を与えられ、それにより陜西省に13校ある“外国人留学生を募集できる大学・高等専門学校”のひとつとなる。

2000年:趙長軍武術学院は陜西省教育委員会の評議により「省クラスの先進的な部門」にふたたび選ばれる。

2001年:趙長軍が陜西イメージ大使に選ばれる。

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