咸陽(Xianyang)編
京都府宇治市の友好都市、中国・咸陽(かんよう)市の小学生からの手紙がこのほど、宇治市広野町の大久保小に届いた。手紙と日本語訳が廊下に展示してあり、児童は咸陽市の暮らしを想像し、返事を書くのを楽しみにしている。 中国・咸陽市の小学生が書いた手…
前漢(西漢)十一皇帝陵分布図
「清末見聞録(清国文明記より)」・長安紀行・咸陽 山南水北を陽と云う。今いるこの地は渭水の北、九嵕山(きゅうそうさん)の南にあって、山水共に陽である。故に咸陽と名付けられたという。もと秦の都があったところであり、秦の始皇帝が天下を統一すると…
咸陽市は関中平原の中央に位置し、面積が1万213平方キロメートル、人口が514万人に達する。 秦の始皇帝(紀元前259-210年)による中国の封建社会として初の中央集権国家である秦(紀元前221-206年)、西漢(紀元前206-後25年)の9人の皇帝が咸陽市北?に葬…
霍去病墓(茂陵博物館) ↑霍去病墓(茂陵博物館)の前景写真 ↑霍去病墓(茂陵博物館)の石刻品・石彫り品---牛の像 ↑霍去病墓(茂陵博物館)の石刻品・石彫り品---匈奴の兵士を踏みつけている汗血馬の像「馬踏匈奴」 ↑霍去病墓(茂陵博物館)の石刻品・石彫…
彬県大仏寺石窟 彬県大仏寺はもとは慶寿寺と呼ばれ、最初は唐貞観2年(紀元628年)に建てられたのである。寺院は県政府の所在地から西10キロの経河の南岸にある。大仏寺に、北に向いて座った姿の唐代一の大仏があって、その名を得たのである。大仏窟の中の…
蘇武墓 蘇武墓は武功鎮の1.5キロメートルの龍門村にある。蘇武、字は卿、前漢の杜陵人、漢の天漢元年(西暦100年)匈奴に赴いたが勾留される。匈奴の貴族に様々な脅しを受けたが、彼は投降に応じず、決して屈服しなかった。後に解放されて北海に羊を放牧した…