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乙佛氏墓

乙佛氏

西魏の初代皇帝文帝は乙佛氏をめとり、文帝の寵愛を一身に集め、12人の子を産んだが、太子一人を除いて全て夭折した。文帝が東魏を攻めているときに、北方から柔然国が攻めてきて、和親を結んで柔然国王の長女である悼后をめとり、乙沸氏を廃して離宮に移した。しかし、悼后の猜疑心が強く、文帝は仕方なく乙佛氏を泰州の太子のもとに送った。540年、柔然国が西魏を攻めてきたが、これを乙佛氏のせいにする者があり、文帝は泰州に使者を送って乙佛氏に自尽を命じた。泰氏部武都王は麦積山に母を葬り寂陵と称したが、文帝の死後、文帝の遺言に従って乙佛氏の墓を文帝の永陵に移した。今でも麦積山43号窟には乙佛氏の墓の跡が確認される。

住所:富平県東留古郷何家村の東北

開放時間:24時間 入場料: 観光所要時間:約3、40分間