西安金橋国際旅行会社と陝西友聯国際旅行会社のブログ

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古代遺跡編

西安曲江池遺跡(漢)、西安曲江池遺跡公園・テーマパック(現在)

西安曲江池遺跡(漢)、西安曲江池遺跡公園・テーマパック(現在)、西安市雁塔区 曲江池遺跡は西安市の南郊外の曲江池村にあり、漢代と唐代に建造された豪華な園林である。最初は漢武帝の時代に造られたが、一度干上がってしまい、唐の開元年間に再び水が注…

唐宮廷の井戸

唐宮廷の井戸 ◎翻訳ソフトで、訳した文章で、意味がご分からない場合はxiaojunn@gmail.comまでお気軽にお問い合わせ下さい:1980年9月の建設工事で発見して、井戸は九成宮と宮城の大通りの南の側に位置して、当時の宮の中で重要な飲用水井戸です。井戸の口径…

古道川雲関

古道川雲関 ◎翻訳ソフトで、訳した文章で、意味がご分からない場合はxiaojunn@gmail.comまでお気軽にお問い合わせ下さい:川雲関城楼は明清の時の建物で、李台郷胡家底村に位置して、川雲関城楼の幅は5メートルで、西門の家柄の上で刻んで“川雲関”の字形があ…

秦都雍城遺跡

秦都雍城遺跡 秦都雍城遺跡と秦公大墓は鳳翔県の南にあります。 ここは東に周原、南に渭水、西に千川、北に千山があり、地形は平坦、土地が肥沃で古代の中国の西北地域の交通の要衝でした。紀元前677年に秦の徳公が雍城宮を居城として以来、十九代の秦王…

釣魚台

釣魚台 釣魚台は、宝鶏県県政府の所在地から北15キロメートルのところにある。釣魚台とは、水際にある巨大な岩石に跪いた跡があるようだのである。石の下で水の流れがはやく、波しぶきが上がっているので、「雲霧の淵」と称されている。姜太公がここで魚を釣…

陳倉古城

陳蒼古城(三国)宝鶏市 陳倉原には2つの城がある。1つは上城と呼ばれ、今の宝鶏市頭鶏台の東北にあり、秦の武公によって築かれた。もうひとつは下城と呼ばれ、三国時代に魏の座昭が諸葛孔明の攻撃ニ対抗して築いた。城の西にある陳倉峪は兵馬が伏せて隠れ…

北首嶺新石器時代遺跡

北首峰新石器遺跡 北首峰新石器遺跡は宝鶏市の東北、金陵河西岸にある龍泉中学の裏庭にある今から7000年前の新石器時代の遺跡です。 遺跡は長さ500m、幅200mで面積は2500平方mあります。考古研究所は1958年から1987年までに四回の…

将台山遺跡

明長城

明長城(明)延安地区呉旗県 明長城は呉旗県長城郷にある。長城は山に沿って築かれ、高さ6m、底辺の幅3m、上部の幅2.5mあり、全長は約20キロ。2.5キロ間隔に高さ30m、周囲27mの烽火台が築かれている。大部分が崩壊しているが、今尚雄壮な…

耀州陶窯遺跡(宋)

宋耀州瓷窯遺跡 宋耀州瓷窯遺跡は西安市の北、銅川市の南、黄堡鎮にあります。13キロ南には耀県、北15キロに銅川市となる西銅公路の東側で交通の便が良いところで す。耀州の窯業の起源は東晋から宋の時代に遡り、中国北方の青磁芸術の代表でした。唐宋…

西渭橋

西渭橋(漢)西安市未央区 西安市三橋鎮の西北にかつて西渭橋があった。西渭橋は漢の建元三年(前138)に建設され、便橋あるいは便門橋と呼ばれ、唐代は咸陽橋と呼ばれていた。西渭橋は漢唐時代に長安と西域、巴蜀を結ぶ要道にあった。杜甫の『兵車行』に…

漢長安城遺跡

漢長安城遺跡 漢長安城遺跡は西安市内から西北に約5キロの安龍首原の北の渭河南岸、漢城郷一帯にあります。ここでは漢の長安城の城壁、主要な街道、城門、宮殿、手工業の仕事場などの遺跡を見る事ができ、漢長安城の壮大さを感じることができます。漢長安城…

阿房宮遺跡

秦阿房宮遺跡 阿房宮遺跡は現在の西安市西郊外の三橋鎮の南、趙家堡と大古村の間にあり、阿城とも呼ばれる秦王朝皇宮の前殿です。 阿房宮は恵文王の時に創建され、秦王朝になってから拡張されました。当時の阿房宮の規模を非常に大きく、正殿の東西は500…

唐大明宮遺跡

唐大明宮遺跡 唐大明宮遺跡は西安駅の北1キロの龍首源にある全国重点文物保護単位です。 唐大明宮は太極宮、興慶宮とともに唐長安城の三大宮城のひとつ、その中で最大です。貞観八年、李世民は城の東北の禁苑内にある龍首源に「永安宮」を建て、そこを父李…

鎮北台

楡林鎮北台 楡林の北7.5キロの紅山にある楡林鎮北台は明の万暦三十五年(1607年)に建てられました。長城の要衝で、堅固な関所の上に作られた軍事上の展望台として長城の防御システムの中で最も重要な建築物です。鎮北台は正方形の四階建で、高さ29…

大茘人遺跡

大茘人遺跡 大茘人遺跡は大茘県段家郷にあります。1978年3月、ここで青年男性の頭蓋骨が発見され、鑑定の結果、約20万年前のものと判り、発見した場所にちなんで大茘人と命名されました。大茘人の頭蓋骨を発見したことにより、藍田原人から丁村人に移…

潼関

潼関 潼関は、陝西省(秦)、山西省(晋)、河南省の3省の合流するところにあり、中国古代の有名な関所の要地である。潼関は、南は秦嶺を控え、東南は谷の険を有し、谷の南に秦嶺の諸谷がわたっており、北は渭水と洛河と2本の河が流れ、障壁となっている。潼…

藍田猿人遺跡編

藍田原人遺跡 1963年5月、中国科学院などによる実地調査隊によって中年女性の原人の頭蓋骨の化石が発掘されました。 頭骨が厚く、額は平らで、眉骨がたくましく、 下あごが突き出したこの化石の鑑定の結果、北京原人よりも更に古く、およそ90-100…

鴻門宴遺跡編

鴻門宴遺跡 新の始皇帝陵から約六キロ離れた西南に鴻門堡村という小村があり、この村は歴史上に発生した重大事件【鴻門の会】の遺跡の所在地です。鴻門は黄土大地を切り開いた洞窟状の地形です。村人は祖先から何世代もずっと、今に至るまでこの地に住み続け…

華清池・宮編

華清池・宮 華清池は西安から東に30キロ離れた驪山の麓にあります。驪山は海抜1256m、風景秀麗なところで、三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。そのため、ここは歴代の帝王が享楽に耽った所でした。西周時代末期の周の幽王はここを驪宮と…

小雁塔と薦福寺

薦福寺と小雁塔小雁塔は薦福寺の境内にあります。この寺は唐玄宗皇帝の娘襄城公主の住宅と開化坊の半分を占めて、長安城のほぼ中央にその偉容を誇っていました。684年、則天武后が亡くなった夫、高宗皇帝の百日忌明けの行事を機に、その冥福を祈るために…

西安城壁 西門 東門 南門 北門

←西安城壁西門の写真←西安城壁東門の写真←西安城壁南門の写真←西安城壁北門の写真 紀元1374年から1378年にかけて築かれた西安城壁は長方形を成し、周囲11.9Km、高さ12m、上部の幅は12~14m位、中身は土、表面はレンガで覆われて、現存す…

鼓楼

鼓楼←西安鼓楼の写真鐘楼と向かい合って、西北に500メートルのところにももう一つの立派な古い建物鼓楼がある。鼓楼は鐘楼より4年早い西暦1380年に建てられた。昔、鼓楼には大きな太鼓があり、夕方になると太鼓を叩いて時刻を知らせるので、鐘楼の「晨鐘」と…

鐘楼

鐘楼←西安市中心の鐘楼の写真 鐘楼は西安市内の中心にあります。ここを起点として東西南北に四つの大通りが伸び、それぞれ四つの城門に通じています。この四つの大通りが市内の交通網の基軸となっています。鐘楼は正方形の木造建築で、高さ36m、敷地13…